【36ワクワク!】 『釈迦の教えは「感謝」だった』 小林 正観
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釈迦が言った「苦」とは、「思いどおりにならないこと」という意味でした。だから「思いどおりにしよう」とするのをやめ、「受け容れる」。
「受け容れる」と、誰のためでもない、もっとも得をするのは「自分」です。自分自身が楽になるのです。
釈迦は二千五百年前にその構図を発見したのではないでしょうか。それを後世に伝え、理解できた人は楽になると知って、「般若心経」に残したのではないでしょうか。
さらに、「受け容れる」ことを高めていくと、「感謝」になる。
釈迦の教えは、結局は「感謝」につながっているのです。
<2〜3頁>
小林正観『釈迦の教えは「感謝」だった』(風雲舎, 2006)
「般若心経」全文、および解釈(小林正観さんの解釈を、私の備忘録としてまとめた)。
摩訶般若波羅蜜多心経(まかはんにゃはらみつたしんぎょう)
観自在菩薩(かんじざいぼさつ)
自在にものを見通す能力を持った(観世音)菩薩さまが
行深般若波羅蜜多時(ぎょうじんはんにゃはらみつたじ)
至高これ以上ない、人類を救済する知恵(般若=パーンニャ(パーリ語))をさらに深めるために行に入っていたときのこと
照見五蘊皆空(しょうけんごうんかいくう)
照らし見るに、見通したときに、五蘊はみな空なりとお悟りあそばされた
※「五蘊」とは、人間の持つ、色(しき)・受(じゅ)・想(そう)・行(ぎょう)・識(しき)の五つの感覚レヴェルのこと。「色」とは、形のあるもの(人間の姿形も含む)。「受」とは、その形あるものを見て、何かを感じ、受け止めたこと。「想」とは、その受け止めた結果として、何か想いが生じたこと。「行」とは、その想いの結果として自分の体が動いて、何か行為・行動をしたこと。「識」とは、それがどういう形で収まったかという認識を頭の中に入れ込んだこと。例えば、マリリン・モンローのような素敵な女性がいて、肉体・物体の存在を確認した=「色」。「美しい、可愛い」と思った=「受」。結婚したいと思った=「想」。走っていって結婚してと申し込んだ=「行」。バシッとほっぺたを平手で叩かれて、ことが終わった=「識」。つまり、「五蘊」とは、ある事象に対して、自分がどう感じ、どう考え、どう動きどう行ったか、どう認識したか、ということを全部含んだ五つの感覚レヴェルのこと。
度一切苦厄(どいっさいくやく)
一切の苦厄を、此岸(しがん。私たちが生きているこの人間の世界)から、向こうの彼岸(ひがん。神や仏の世界)に渡すことができるということをお悟りあそばされた
舎利子(しゃりし)
舎利子よ
※「般若心経」は、お釈迦さまの一番弟子である知恵第一尊者・舎利子に向かって語りかけているという形をとっている。
色不異空(しきふいくう)
色は空に異ならず
空不異色(くうふいしき)
空は色に異ならず
色即是空(しきそくぜくう)
色は即ちこれ空なり
空即是色(くうそくぜしき)
空は即ちこれ色なり
受想行識亦復如是(じゅそうぎょうしきやくぶにょぜ)
受・想・行・識、すべて同じようにできているのだよ(一つひとつの感覚レヴェルのものは、全部、中身が空なのだよ)
※=受即是空 空即是受
想即是空 空即是想
行即是空 空即是行
識即是空 空即是識
舎利子(しゃりし)
舎利子よ
是諸法空想(ぜしょほうくうそう)
すべての存在物は、空の相の中にあり
不生不滅(ふしょうふめつ)
生じるということもなく、滅するということもないのだよ
不垢不浄(ふくふじょう)
汚れているということもなく、清らかなるということもないのだよ
不増不減(ふぞうふげん)
増すということもなく、減るということもないのだよ
是故空中(ぜこくうちゅう)
ゆえにこれ、すべて空なるものの中にある
無色(むしき)
色というものもないし
無受想行識(むじゅそうぎょうしき)
受・想・行・識というものも、本来は空である(性格づけはされていない)
※結局自分が全部「思い」を持って、その「思い」を基準として、評価・評論しているから、結局その「思い」が生じている、ということを言っている。あらゆる現象に色がついていない、色をつけるのは自分自身の物差しと、「思い」を持っている私であり、現象は確かに存在はするが、色がついていない、というのが「空」という意味。
無眼耳鼻舌身意(むげんにびぜつしんい)
眼、耳、鼻、舌、身という五感の世界、プラス意識の世界、これら六つの感覚の世界も、もともとはない
※それぞれの評価・評論があるから、ものごとがその評価・評論の対象になってくるので、もともと五蘊が皆空なりであることが分かったら、そういうものも関係なくなってしまう、ということ。
無色声香味触法(むしきしょうこうみそくほう)
色(物体、肉体)も、声も香りも味も触覚も、全部、もともとないのだ
無眼界(むげんかい)
見る世界もない
乃至無意識界(ないしむいしきかい)
それから、意識界まで(ないし無意識界までも)ないのである
無無明(むむみょう)
生まれる前の何も分からない世界というのもないし
※「無明」(仏教用語)とは、生まれる前の何も分からない状態を言う。
亦無無明尽(やくむむみょうじん)
その無明が尽きるということもまたないのだ
乃至無老死(ないしむろうし)
さらに、老いて死ぬということもない
亦無老死尽(やくむろうしじん)
従ってまた、老いて死ぬということも尽きるということもない
※つまり生まれる前からもともとそれがないのだが、その生まれる前からのわけの分からない、全く状況の分からない世界から生まれてずっと生きてきて、そして老いて死ぬというところまでのその経過も、実はもともとないのであって、それも結局、自分の意識、自分がそう思うからそうあっただけであって、もともと何もないと思えば何もないんだよね、ということ。
無苦集滅道(むくじゅうめつどう)
苦集滅道さえも、実は評価・評論する心がなければ、自分で「思い」というものを持っていなければ、もともとないものである
※苦集滅道とは、「四諦(したい)」と呼ばれる四つの悟り。2500年前、お釈迦さまは、「人生は苦に満ちている」と言った。これを「苦諦(くたい)」と言う。その苦の根源は執着であり、執着することを、集めるという字を書いて、「集諦(じったい)」と読む。この根源である執着をなくすことで、人間は悩み・苦しみから救われると考えた三つ目の悟りを「滅諦(めつたい)」と呼び、滅すれば楽になるという考え方を指す。四つ目の悟り「道諦(どうたい)」の「道」とは行うことを指し、心に浮かんでくるその執着のいろいろなことを滅すればいいのだというふうに、実践を一つずつ日常的にやっていくことを「道諦」と呼ぶ。
※ここでお釈迦さまは、苦集滅道さえもないのだよ、と言い切っている。「思い」があるから、物事を決め付けているある種の「思い」があるから、論評・評価があるから、そこに悩み・苦しみが生じる。論評・評価は、常に自分の側に物差しがあり、その物差しとは、何かが正しくて、何かが正しくない、何かが成功で、何かが成功ではない、というような物差し。その物差しをベースにしてものを考えているから、全部、悩み・苦しみになってしまう。物差しがあり、基準があり、そうあるべきだという考え方があるから、そこに「思い」が生じ、論評・評価が生じ、それが思いどおりにならないものを否定することになる。悩み・苦しみはすべてそこから生じている。
無智亦無得(むちやくむとく)
智を得るということもなく、また、得するということもない
以無所得故(いむしょとくこ)
その所有するということもないがゆえに
菩提薩埵(ぼだいさった)
それをもって、知恵を得た方々は
依般若波羅蜜多故(えはんにゃはらみつたこ)
般若波羅蜜多に依ることによって
心無罣礙(しんむけいげ)
心の迷いや曇りがなくなり
※「罣礙」とは、心の曇り、迷いのこと。
無罣礙故(むけいげこ)
心の迷いや曇りがないがゆえに
無有恐怖(むうくふ)
恐怖があるということもない、恐れおののくこともまったくない
遠離一切顚倒夢想(おんりいっさいてんどうむそう)
すべての丈ア倒夢想(神仏から見ると、人間は逆の価値を追いかけ、まるで逆さの生活をしているように見える。欲しいものを手に入れれば幸せになると思っているようだが、その執着が悩み苦しみを生んでいる)を遠離して(引き離して)
※神仏から見ると、人間は逆さまの生活をしているらしい。「大事」だと思っている「やる気」や「こだわり」や「上昇志向」などはすべて、天上界からすると無意味なだけでなく、逆に、「悩み」「苦しみ」を生む元凶になっている。
究竟涅槃(くきょうねはん)
最高の悟りの境地(涅槃)に至る
三世諸仏(さんぜしょぶつ)
前世と今生と来世の諸仏は
※「三世」とは、前世と今生(こんじょう)と来世のこと。
依般若波羅蜜多故(えはんにゃはらみつたこ)
般若波羅蜜多(至高の、これ以上ない智恵)に依るがゆえに
得阿耨多羅三藐三菩提(とくあのくたらさんみゃくさんぼだい)
最高の、至高の、これ以上ない、その素晴らしいものを身につけたるがゆえに
故知般若波羅蜜多(こちはんにゃはらみつた)
その般若波羅蜜多というものを得たるがゆえに
是大神呪(ぜだいじんしゅ)
ただ一つの言葉に向かってそこに進めばよいということに気がつく
是大明呪(ぜだいみょうしゅ)
その素晴らしい言葉というのが
是無上呪(ぜむじょうしゅ)
これ以上ない言葉であり、無上のものであり
是無等等呪(ぜむとうどうしゅ)
それに匹敵するものがない
能除一切苦(のうじょいっさいく)
一切の苦厄を取り除くものである
真実不虚(しんじつふこ)
これがほんとうのことであり、偽りではない
故説般若波羅蜜多呪(こせつはんにゃはらみつたしゅ)
あとはすべてのこと全部、人類を最高に救済してくれる
即説呪曰(そくせつしゅわつ)
この言葉を言いさえすればよいのだ
羯諦(ぎゃてい)
行こう
羯諦(ぎゃてい)
行こう
波羅羯諦(はらぎゃてい)
何も考えずに、ただ行こう、行こう
波羅僧羯諦(はらそうぎゃてい)
向こうの世界に早く行こう
※ただ実践すればよいのだ。そのように受け容れて、受け容れて、実践的に生きていけばよいのだ。そうすれば、向こうの世界に行けるぞ、「レッツ・ゴー、レッツ・ゴー」と言っている。
菩提娑婆訶(ぼじそわか)
これですべてのことが成就しました、これで全部、落着しました
※「娑婆訶」とは、これで成就せり、という意味。
般若心経(はんにゃしんぎょう)
このありがたい教えに、ありがとう。
「すべてが空なり。自分の論評・評価、思いが、結局、全部自分の苦悩や煩悩につながっている」と釈迦は後世に伝えたかったのです、との小林正観さんの解釈で、私もようやく般若心経の意味を知ることができました。
感謝します!!!
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